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最高裁判所第一小法廷 昭和41年(あ)1697号 決定 1973年3月20日

主文

本件上告を棄却する。

理由

検察官の上告趣意第一点は、判例違反をいうが、引用の判例は事案を異にし、本件に適切でなく、同第二点は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。なお、所論にかんがみ職権で調査するも、いまだ同法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(藤林益三 大隅健一郎 下田武三 岸盛一 岸上康夫)

大阪高等検察庁検事長井嶋磐根の上告趣意

序説

一、本件公訴事実の要旨は、被告人らは、他の学生十数名とともに、昭和三四年一一月一三日午後二時二〇分頃、大阪市天王寺区南河堀町三番地の大央アイヌ株式会社販売所前路上において、大阪府天王寺警察署勤務の巡査小川博(当三〇年)の姿を認めるや、予て同巡査が大阪学芸大学池田分校の学生峠越昌子(当時一九年)と交際を始め同女に接近したことは大学の自治を侵すものであると思惟していたことから、同巡査に対し、その弁明を求めるため、同大学天王寺分校まで同行されたい旨強請し、同巡査がこれを拒否したにもかかわらず、実力に訴えて連行すべき気勢を示すに至つたので、同巡査において難を避けて後退しながら同販売所内に入るや、ここに被告人らは他の学生数名と共同して同巡査の胸倉を掴み、両腕を取り、肩を押す等の暴行を加えて同巡査を同販売所前路上に引きずり出した上、同巡査の両腕を取り、ズボンの両足首附近を掴み、後より押す等して同巡査を約百米離れた学芸大学天王寺分校内に引きずり込み、もつて数人共同して同巡査に暴行を加えたものである。」と謂うに在つて、小川巡査は学大構内に連込まれた後、被告人らを含む学生多数から五時間余に亘り、いわゆる吊し上げを受け、警官隊の来援により漸く難を脱したものである。

二、大阪地方裁判所は右事件につき、被告人らが小川巡査に加えた暴行は、大央アイス前より学大寄りの約二〇米の地点までであると限局して認定した上、被告人らの所為は、外形上暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条にいう数人共同して暴力を加えた場合にあたり、その構成要件を充足するものとしながら、小川巡査の峠越昌子に対する接近接触をもつて大学の自治を侵す違法な行為であると断定し、被告人らの所為は、その侵害を排除し学問の自由、大学の自治を保全擁護するに出でたる行為であつてその目的において正当であり、その手段方法も相当であつて、法益の権衡をも失しない。かつ、学問の自由に対する侵害の排除は常に緊急を要するものであるから、被告人らの所為は、超法規的に形式的違法推定を破り、犯罪の成立を阻却する旨判断して無罪の言渡をした。

三、右判決に対し、検察官より、同判決は、事実を誤認しているばかりでなく、学問の自由、大学の自治の限界についての解釈を誤り、実質的違法阻却事由の要件に関する具体的法律判断を誤つたものであつて、その誤りは、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるとして控訴した。

四、大阪高等裁判所第六刑事部は、審理の結果、事実関係については一審判決の認定をそのまま容認した上、検察官の主張の一部を容れて、小川巡査の峠越昌子に対する接近接触は何ら大学の自治を侵害するものではないとして、一審判決が本件につき超法規的に違法性を阻却するとした判断は妥当を欠くものと断定し、かつ、被告人らの所為をもつて、許容される手段とは解しがたく、釈明要求の方法としては相当性を欠くものと判断しながら、被告人らの有形力の行使は、極めて短時間かつ、短距離の範囲で、法益侵害の程度が、極めて軽微であることを主たる理由とし、学生達の動機を勘案して総合すれば、本件暴力行為は可罰的評価に値するほどのものとは認められず、これを不問に付し犯罪として処罰の対象としないことがむしろわが国の全法律秩序の観点からして合理的であると考えられ、原判決の結論である超法規的違法阻却の是認も結局これと同趣旨であると解されるとして控訴棄却を言渡した。

然しながら、原判決は以下詳論するとおり、大審院の判例に相反する判断をし、また、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条、刑法第二〇八条ならびに違法阻却事由ないし正当化事由に関する刑法の解釈と適用を誤り、右は、何れも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、刑訴法第四〇五条、第四一〇条および第四一一条により当然破棄せられるべきものと思料する。

第一点 原判決は、被告人両名の本件所為が外形上暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条にいう数人共同して刑法第二〇八条の罪を犯したとの構成要件を充足し、かつ違法なものであるとしながら(違法と認めたことは、第一審判決が被告人らの所為につき超法規的に違法性が阻却されるとしたのに対し原判決は手段の相当性を欠くことを理由にこの点の第一審判決の判断を妥当を欠くとしていることから明らかである。)、本件は極めて軽微な事件であるから、本件暴力行為は可罰的評価に値しないと判断して暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条、刑法第二〇八条の適用をしなかつたことは、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反等被告事件に対する昭和八年四月一五日大審院第三刑事部判決(大審院刑集一二巻五号四二七頁以下)の判例と相反する判断をしたものであつて、右は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は当然破棄せらるべきものである。

すなわち、本判例の要旨は

「刑法第二百八条第一項ニ所謂暴行トハ人ノ身体ニ対スル不法ナル一切ノ攻撃方法ヲ包含シ其ノ暴行カ性質上傷害ノ結果ヲ惹起スヘキモノナルコトヲ要スルモノニ非ス而シテ人カ電車ニ塔乗セントスルニ当リ不法ニモ其ノ被服ヲ掴ミテ引張リ或ハ之ヲ取囲ミテ身体ノ自由ヲ拘束シ其ノ電車ニ塔乗スルヲ妨クルカ如キハ人の身体ニ対スル不法ナル攻撃ニ外ナラサルヲ以テ原判決カ所論原判示被告人真吾等ノ行為ヲ刑法第二百八条第一項ノ暴力ニ該当スルモノトシテ処断シタルハ正当ニシテ擬律ヲ誤リタルモノニ非ス。」

というのであり、刑法第二〇八条にいわゆる暴行とは、人の身体に対する不法な有形力の行使であつても、その軽微なものは、可罰性を欠くとして、右の罰条の適用を拒むのであるから、原判決は、本判例と相反する判断をしたことが明らかである。のみならず右判例における事案は、労働争議中において、使用者側の者が連絡のため電車に塔乗しようとするのを阻止するため、労働者側の者において、これに暴行を加えてその乗車を妨害したといものであるが、加害者らは被害者の行動をもつて話合いの場から逃避するものと判断してその所為に出たもので、その暴行の程度は、僅かに被害者の被服をつかんで引張り、あるいは被害者を数人で取囲んだに過ぎないことを思うとき、厳密な意味での事案の比較は困難であるにしても、本件事案における暴行の程度(その法益侵害の程度)が、右判例における暴行の程度より軽微であるとは到底考えられず、更にそれぞれその動機等を考慮に入れても、同様である。

尤も、法益侵害の程度が軽微であることをもつて犯罪の成立を否定する学説もないではなく、その引用するものにいわゆる一厘事件の判例(煙草専売法違反被告事件に対する明治四三年一〇月一一日大審院判決、大審院刑事判決録一六輯一六二〇頁以下)がある。然しながらそれは、政府に納入すべき葉煙草僅か七分(価格一厘相当)を自家用に消費したため、煙草専売法違反に問われた事案に関するもので、その説くところは、刑罰法の解釈の基本的態度に触れて、刑罰法は共同生活の条件を規定したものであるから、物理学上の観念だけに依るべきでなく、健全な共同生活上の観念を標準とすべきであるとし、そこから零細な反法行為は犯人に危険性ありと認むべき特殊の情況の下に決行されたものでない限り、犯罪を構成しないとするもので、それが構成要件に該当しないとするものか、あるいは違法性を欠くとするものかは必ずしも明らかでないけれども、一粒の粟、一滴の水の侵害まで刑罰の対象とすることは、刑罰法の予想するところでないと述べているところからも明らかであるように、ここで問題とされているのは、真に零細な不法行為であり、しかも共同生活に危害を及ぼさないものに限つて不問に付するというに過ぎない。しかもその具体的判断は、煙草専売法違反の事案に関するもので「税法の精神に背戻」するかどうかについてである。さすれば本判例は、極めて特殊例外の場合のものであることが明らかであり、これをもつて原判決と同旨の判例とは到底考えることができない。

第二点 原判決は、その理由中「然しながら小川巡査の本件行為、即ち警備情報活動と称されるものは、行為の性質上その手段方法は隠微且不明朗であり、その対象とされる学生の側から云えば、学生集会及び学生個人の思想動向をも調査されるもの、従て学問の自由、個人の尊厳をも侵されるものと感ずることは無理からぬことであり、その反感、憤激を容易に誘発し易い活動であることは否定できないところであつて、学生達が本件暴力行為に及んだのも前記のような本件当日の機運情況から言えばいわば自然の勢であると云わねばならない。又本件において学生達が小川巡査を学大内へ強制的に連行するために施用した有形力の行使は、きわめて短時間かつ短距離の範囲であり、殴る蹴る等の悪質苛酷な暴力は全く行使せず連行に必要な最少限度の腕をかかえ引張り、或いは後ろから押す等の程度に止まつていて法益侵害の程度はきわめて軽微である。ただ本件が何等かの犯罪の手段として行われたものならば、その犯罪の重要性に比例して本件行為も違法性が増大するであろうが、小川巡査が学大内に入つてから後の事実に起訴されていないから原審において審理も尽されておらず、学大内で果して犯罪を構成する様な行為が行われたか否かは明らかでない。従て本件暴力行為はそれだけの行為として評価せざるを得ず、この見地からすれば(目撃者中には、学生達が先輩を学内に連れて行くところかと思つたと証言している者もある)極めて軽微な事件と謂わざるを得ない。これらの諸点を綜合すると、本件暴力行為は可罰的評価に値するほどのものとは認められず、これを不問に附し犯罪として処罰の対象としないことがむしろわが国の全法律秩序の観点からして合理的であると考えられ、原判決の結論である超法規的違法阻却の是認も結局これと同趣旨に帰するものと解される。」(原判決四一丁表一一行以下)と論断している点は、窮極において暴力行為等処罰ニ関スリ法律第一条、刑法第二〇八条ならびに違法阻却事由ないし正当化事由に関する刑法の解釈適用に重大な誤りを犯しているものであり、右は、判決に影響を及ぼすこと明白なる法令の違反であつて、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

一、原判決が、法益侵害の軽微性を主たる理由とし、犯罪の動機をも勘案して本件の可罰性を否定したことは、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条、刑法第二〇八条の解釈を誤り、あるいは違法阻却事由ないし正当化事由を不当に拡大するものであつて、法令の解釈の誤りがある。

1 原判決が、被告人らの有形力の行使は、極めて短時間かつ短距離の範囲であるとし、その法益侵害の程度が、極めて軽微であることを主たる理由とし、被告人らの動機をも勘案して、本件暴力行為をもつて可罰的評価に値しないものとして、その可罰性を否定したことは、その判文自体により明らかである。

然しながら、如何に法益侵害の程度が軽微とはいえ、また、その犯罪の動機が如何に憫諒すべきものであつても、苟も当該行為が構成要件に該当する以上、刑法所定の違法性を阻却する事由がない限り、それだけではその可罰性を否定すべきでないことは実定法の解釈上当然のことに属する。

而して、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条違反の罪は、数人共同して刑法第二〇八条所定の暴行罪にあたる所為に出でた場合に成立するものであり、本件暴力行為が右罰条に該当し、その構成要件を充足することは論なきところであり、従つて、その可罰性を否定せんがためには、刑法第三五条ないし第三七条の事由の存否を検討すべき筋合であると言わなければならない。ところで、本件行為が刑法第三五条前段の法令による行為、同法第三六条の正当防衛、同法第三七条の緊急避難に該当しないことは明らかであり、ただ、刑法第三五条後段のいわゆる正当行為に該当するか否かが問題となるが、その行為が具体的事態の下において社会通念上許容される限度を超えたものであるときは正当行為にあたるとする余地がないと解すべきであり(昭和三六年九月一四日最高裁判所第一小法廷判決、刑事判例集一五巻八号一三四八頁および昭和三九年一二月三日同第二小法廷決定、刑事判例集一八巻一〇号六九八頁参照)、原判決が「詰問のために同行を肯んじない相手方を暴力を行使して約百米離れた学大構内まで連行しようとするが如きは(しかも小川巡査は近所の駐在所で話そうと云つているのを聴き入れず学大構内に連行している。)、許容される手段とは解しがたく、釈明要求の方法としては相当性を欠くといわなければならない。」(原判決四〇丁表一一行以下)と判断していることによつても、本件行為は、社会通念上許容される限度を超えたものであることが明らかであるから、到底同条の正当行為にあたるものと見ることはできない。

さすれば、本件行為は、法が可罰性を否定すべき場合として厳格に定めている刑法第三五条ないし第三七条の何れにもあたらないことが明瞭である。

2 原判決が、本件所為につき、外形上暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条に該当するとしながら、その法益侵害の軽微なることと犯罪の動機の憫諒すべきことをもつてその可罰性を否定したのは、その理由の説明が簡に過ぎ理解に苦しむところであるが、あるいはその行為が、当該構成要件の本来予想しているいわゆる可罰的違法性を欠くこととなるが故に構成要件に該当しないとするものであるか、はたまた構成要件には該当するが、いわゆる可罰的違法性を欠くこととなつて何らかの違法阻却事由にあたるとするものであるかのいずれかの趣旨とも推測されるのである。然しながら、かかる見解は、あるいは犯罪を類型的に確定するという構成要件の本質的な機能を無視し、明確なるべな構成要件に被害法益の大小、動機の如何というが如き不明確な要素を導入してその該当の有無を判断することとなり、あるいは法が違法阻却事由として厳格に規定している刑法第三五条ないし第三七条の規定を逸脱し、超法規的に違法阻却事由を設定して法益侵害の軽微や動機の憫諒すべきことをもつて違法阻却の事由に取入れるものであつて、かくては不明確であいまいな基準に基づく恣意的独断的判断を許し、刑法秩序の弛緩を招き、法的安全を損うこととなるものであり、ひいて罪刑法定主義の趣旨にももとることとなつて、実定法の解釈としては到底容認しえないものである。

仮に、違法性を実質的に考察し、これを否定すべき合理的根拠の存するときは、刑法所定の違法阻却事由とは別に、可罰性を否定すべき場合のあることを認容するとしても、刑法が緊急已むを得ない特殊例外の場合として明定している正当防衛、緊急避難の場合においてすら、防衛又は避難行為が違法性を阻却されるには、その行為が真に已むを得ざるに出でたることを要するなど極めて厳格な要件を定めていることにかんがみ、漫りに明文のない違法阻却事由を設定すべきではなく、刑法の規定するところと同等もしくは、それより一層厳格な要件の下にこれを認むべきことが法解釈の根本原理であると言わなければならない(いわゆる舞鶴事件二審判決、昭和三五年一二月二七日東京高等裁判所第三刑事部言渡、刑事判例集第一八巻一〇号九二三頁以下参熱)。

斯かる見地から、違法阻却の一般条項とも見られる刑法第三五条後段のいわゆる正当行為の範疇に属しないものを違法阻却の事由に取入れるとしても、それは極めて特殊例外の場合であると同時に、具体的事態の下において厳に社会通念上許容される限度を起えない範囲内の行為に限られるべきものと考えられ、単に、法益侵害の程度が軽微とか、犯罪の動機とかをもつて違法阻却の理由とすることは、許されないものと言わなければならない。前述したいわゆる一厘事件の判例(明治四三年一〇月一一日大審院判決、刑録一六輯一六二〇頁以下)も窮極のところこの趣旨において理解すべきものであつて、被害法益さらには事案が軽微であるというだけで可罰性を否定したものでないことは明らかである。また、旅館業者が宿泊客等から煙草の購入方を依頼されるのを予想して、予め煙草の小売人から煙草を購入しておき、客の依頼のある都度、これを客に小売価格で交付した事案につき、たばこ専売法違反罪の成立を否定した判例(昭和二九年(あ)第九五〇号、昭和三二年三月二八日最高裁判所第一小法廷判決、刑事判例集一一巻三号一二七五頁)も、その趣旨は、煙草を店頭に陳列して一般人に譲渡したものではなく、専ら宿泊客の便宜を計つたものであつて、たばこ専売法制定の趣旨、目的に反するものではなく、社会共同生活の上において許容されるべき行為であるとして犯罪の成立を否定したものである。その事案の内容にかんがみても極めて特殊例外の場合に属するものであることが明らかであり、本判例もまた、単に法益侵害の程度が軽微であるとか、動機が憫諒すべきものであるとかの理由だけで、可罰性を否定する趣旨でないことはいうまでもない。

然るに、原判決は、前示の如く、被告人らの本件所為をもつて、許容される手段とは解しがたく、釈明要求の方法としては相当性を欠くものとし、恰も社会通念上許容される範囲を逸脱していることを容認しながら、法益侵害の程度が軽微であるとなし、これを主たる理由とし、犯罪の動機をも加味して、いわば犯罪の情状に属するものを捉えて可罰性を否定していることは、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条、刑法第二〇八条の解釈を誤り、あるいは刑法上の違法阻却事由ないし正当化事由を不当に拡大するものであつて、その判断は誤りという外はない。

二、右一所掲の原判決の法令解釈を容認するとしても、本件は、原判決のいう如くには法益侵害の程度が軽微でなく、また動機も憫諒すべきものでなく、従つてこの点からみても可罰性を否定すべき理由はないのであつて、法令の適用の誤りがある。

原判決は、右一に述べたとおり、被告人らの所為について、その法益侵害の程度が極めて軽微であるとしてこれを主たる理由とし、更にその動機も憫諒すべきものであるとしてこの点をも加味し、その可罰性を否定したのであるが、然しながら本件は、原判決が言う如くには法益侵害の程度が軽微なものではなく、また、その動機も憫諒すべきものではなく、更に、その目的の正当性・手段の相当性の観点からも被告人らの行為は、社会通念上許容される限度を遙かに超えるものであつて、可罰性を否定すべき合理的理由は、全く存しない。

以下に、その理由を述べる。

1 被害法益について

原判決は、本件につき、法益侵害の程度が極めて軽微なことを主たる理由としてその可罰性を否定している。

然しながら、本件公訴事実につき一審判決および原判決の容認した事実関係を見ても、法益侵害の程度が、しかく軽微と言うことはできない。すなわち、一審判決は、本件公訴事実のうち、被告人らが、小川巡査に加えた暴行の事実を縮少した範囲で認めているが、それでも、大央アイス前から約二〇米離れた「裏」米屋あるいは、それよりやや学大正門寄りの地点まで腰を落して突張り、上体を後へそらし、極力拒否の姿勢をしている小川巡査を、或る者は、その右腕を掴み、或る者は、その左腕を引張り、又或る者は、その背中を押し、又は腰を後ろから押すなどの暴行を加え、小川巡査は、これに抗し得ずして、靴が地面をずるずるすつていく状態であつたことを肯定し、原判決も、「学生達の小川巡査に対する強力な有形力行使の場所的範囲を大央アイス前から『裏』米屋あるいはそれよりやや学大正門寄りの地点までと限局して認めたのは相当である云々」(原判決一九丁裏四行以下)としてこれを是認している。

これによつてみても、小川巡査が最も抵抗したのは大央アイス前路上であつて、被告人らは、是が非でも同巡査を学大内に連れ込むべく、強力な有形力の行使に及んだことが窺われ、これがため小川巡査は顔面蒼白となり(記録第六六〇丁裏以下参照)、また、極力抵抗したため頭髪が乱れて前に垂れ下り、顔面も判然と見えないくらいになつていたものである(記録第八八八丁以下参照)。

斯くの如く、被告人らの小川巡査に加えた暴行の程度は決して軽微なものとは言えず(それが刑法第二〇八条所定の暴行に当ることは論なきところである。)。原判決自らも「強力な有形力の行使」という表現をしていることからしても、これを以て法益侵害の程度が軽微なりと断ずることはできない。原判決は、被告人らの有形力の行使は、極めて短時間かつ短距離の範囲であり、悪質苛酷な暴力は全く行使していないと言うが、何ら咎むべき点もない小川巡査を公道上で捉え同行を拒否する同巡査を衆を恃んで無理矢理に学大内に連行すること自体悪質苛酷であると断ぜざるを得ない。原判決の言うように、その際「殴る」「蹴る」等の典型的な暴行が無かつたからといつて、法益侵害の程度が極めて軽微であると断定すが如きは、余りにも皮相な観察と言わざるを得ない。而も、小川巡査が学大構内に連行された後、五時間余に亘つて、被告人らを含む学生ら多衆から、いわゆる吊し上げを受け、警官隊の来援を得て漸く難を脱した事情を加味するときは、法益侵害の程度は、ますます軽微と言うことができない(原判決は、小川巡査が学大内に入つてからの後の事実は起訴されていないから、考慮の外におくが如き判示をしているが、少くとも可罰性の基準として法益侵害の程度を考慮するときは、かかる事情を全然無視するということはできない)。

更に、被告人らおよびその他学生らの本件暴行行為は、その一つ一つを取り上げてみれば、あるいはさして強いものでなかつたにしても、本件の如く多数の者が集合し集団的に共同行為としてその力を発揮し、しかも特定の一人に対し向けられたような場合は、総合された暴行行為はとみに勢威を増すことは容易に首肯しうるところであり、その点からも小川巡査の被告人らおよび他の学生らから受けた有形力の行使が原判決のいうように軽微なものであつたとは、到底考えられないところである。

2 犯罪の動機と、目的の正当性の有無について

原判決は、被告人らが本件犯行に及んだ事情として「小川巡査の本件行為、即ち、警備情報活動と称されるものは、行為の性質上その手段方法は隠微且不明朗であり、その対象とされる学生の側から言えば、学生集会及び学生個人の思想動向をも調査されるもの、従つて学問の自由、個人の尊厳をも侵されるものと感ずることは無理からぬことであり、その反感、憤激を容易に誘発し易い活動であることは否定できないところであつて、学生達が本件暴力行為に及んだのも前記のような本件当日の機運、情況から言えば自然の勢であると云わねばならない。」(原判決四一丁表一一行以下)と判示し、これをもつて、恰も、犯行の動機に憫諒すべきものがある如き判断を示しているが、他面、原判決は、一審判決が「小川巡査が峠越昌子に接近接触したのは警備警察活動の一環として同女を通じ一般的、継続的、組織的且つ秘密裡に学大当局の公認にかかる学大自治会の活動情況を把握すべく、これに関する情報を収集する意図の下になされたものと認める外なく、それは明らかに大学の自治に対する侵害行為の実行に着手したものと認められる。そしてこの点について大学当局がこれを是認していたものと認むべき証拠はないから、被告人らがこれをもつて大学自治に対する侵害、あるいは少なくともそのおそれのある行為と判断し事態の真相を明らかにするため小川巡査に釈明を求めた上、これが対策を検討実施し以て学問の自由、大学の自治を保全擁護しようとするにあつたのであるから、右動機及び目的は健全な社会通念ならびに法律秩序全体の精神にかんがみ正当と認められる。」旨判示したのに対し、「警備情報活動及びこれと大学自治との関連について考察を進めると、警察法第二条第一項に定めるとおり、警察が公共の安全と秩序の維持に当る責務を有し、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締等の職責を有することからすると、公安を害する犯罪に対する警備実施活動及び捜査活動を行うための資料として治安情勢に関する情報を適確に収集把握し以て警備警察活動に遺漏なきを期する要があるから、警備情報活動が警察法第二条第二項にてい触しない限り原則的には許容されるものと言わざるを得ないであろう。……本件当時の前後において労働運動、社会運動と関連してなされる学生特に大学生の組織的集団行動がある程度公安に影響を及ぼす事件となつていたことは公知の事実であり、検察官指摘の(イ)(昭和三三年九月一五日)の大阪府学連傘下の多数学生の行動ならびに(ロ)(同年九月二四日)及び(ハ)(同三五年六月一六日)の同学連傘下の学生の行動等も当時の新聞紙上に報道せられた顕著な事実であり、被告人中辻は同学連の副委員長として活動していたことは小川巡査の探知するところであつたから、小川巡査が右中辻が書記長である学大天王寺分校自治会、或は之と密接な関係にある学大池田分校自治会の動静に関する情報を収集しようとしたことは、学大自治会の政治的社会的活動が違法行為に発展する可能性を有しているのではないかとの疑の下に、それを探知する目的に出でたものと考えられる。従つて小川巡査は治安情勢の把握に全く不必要な情報活動をしたものとは断定し得ないし、その上小川巡査の峠越に対する接近接触は学外においてなされかつなんらの強制を伴わない任意な方法によるものであり、その質問内容や接触方法も違法なものとも解せられないので、本件行為当時迄の小川巡査の行動が大学における学問の自由、自治を侵害したものとは認められない。ただ峠越個人の立場から見ればその方法が幾許かの金品の供与や、好意、親切を示すことにより峠越からその所属の学生集会についての情報を提供させようとする不明朗な、しかも常識的には稍反倫理的なものに発展する可能性のある行為であつて、峠越個人の尊厳を冒涜する行為であるとの疑を抱き得るが、それは同女本人の拒絶により容易に断念解消せしめうる行動であり、又、その様な行為は峠越が接触を拒否したのに拘らず執拗に接触を続ける場合に始めて違法行為となると解すべきであるが、峠越がこの様な意思表示をしたことは同人自身認めていない。従つてこれらを併せ考えると、小川巡査の峠越に対する接近、接触を以て直ちに大学自治に対する侵害行為の実行に着手したものとはいいがたく、又峠越個人の人格を害する様な違法な行為がなされたとも認められず、この点に関する原判決の見解は正当とは認められない。」(原判決三六丁裏八行以下)と判示した上、「当初被告人石原が小川巡査に対したのは峠越との接触問題について釈明を求めるためであつたと考えるのが、合理的かつ妥当である。しかしその後参集した被告人等を含む多数学生の言動に徴すれば、多数学生の中には所論のように小川巡査が当日開かれる学生集会の内偵に来たものと誤解して激昂していた者もあると認めざるを得ず(しかもこの誤解は事態を十分に把握せず、衆を恃んで行動しようとする自主性を喪失した行動に起因しているものであるから、誤解した側が責任を負うべきものである)これらの学生達は小川巡査が違法な情報収集活動をしたものと考えて反感、憤懣を抱いて行動したものと解するのが相当であろう。従つて本件において行動した多数学生中には、前記の如く峠越問題について釈明を求めんとする意図と検察官主張の如く小川巡査個人に対しいやがらせないしは報復手段を加えて、将来学大自治会に対する接近をはばもうとする意図とが混在していたものと解するのが相当であり、この点に関する原判決の認定は誤というべきである」(原判決三五丁表一行以下)と判示し、一審判決の誤りを指摘しているのである。

これによつてみれば、被告人らの本件犯行の動機は、それほど憫諒すべきものとは認められない。そして、被告人らにおいて、小川巡査が、当日開かれる学生集会の内偵に来たものと誤解していたものとしても、誤解の故をもつて、その目的が正当化される謂れはなく、また、被告人らが、小川巡査の峠越昌子に対する接触を以て大学自治に対する侵害であると誤解していたとしても、警察活動を大学から遮断するためには、学大当局、若しくは、文部当局、警察上層部との平和的な話し合いにより解決されることであり(原判決も同趣旨の見解を示している)、小川巡査に釈明を求めるためとはいえ、あくまで同巡査を学大内に連込む必要性は毫もなく、同巡査を強いて学大内に連込んだのは、被告人らの心情から見れば原判決の言う如く、小川巡査個人に対するいやがらせ、ないしは、報復手段たる意図もあつたことが明らかであるから、被告人らの所為は、その目的の正当性をも欠くものと断ぜざるを得ない。

3 手段の相当性の有無について

更に、被告人らの本件所為が、手段の相当性の観点から、社会通念上許容される限度を超えていることは、原判決が、小川巡査の峠越昌子との接触をもつて、何ら大学の自治を侵害するものでないとした上、「小川巡査の活動が右のように学外において強制を伴わず対象者個人の任意の協力を期待する方法によるものであり、且当時同人は他の用件で学大を訪問した帰途、公道上にあつたのであるから、釈明要求の手段としては、質問ないし詰問により相手方の任意の応答を求める限度に止むべきであつて、詰問のために同行を肯んじない相手方を暴力を行使して約百米離れた学大構内まで連行しようとするが如きは(しかも小川巡査は近所の駐在所で話そうと云つているのを聴き入れず学大構内に連行している。)許容される手段とは解しがたく、釈明要求の方法としては相当性を欠くといわなければならない。」(原判決四〇丁表六行以下)と判示していることに徴し極めて明瞭である。原判決は、このように手段の相当性を欠くことを容認するものであることは勿論であるが、一方でこのことを容認しながら、従つていわゆる実質的違法性の存することを認めたものと解されるのにかかわらず、なお本件につき、可罰性を否定したことは、首尾一貫するところがなく甚だ理解に苦しむところである。

以上述べたように、被告人らの本件所為は、法益侵害の程度が決して軽微とは言えず、また犯罪の動機もそれほど憫諒すべきものではなく、目的の正当性もなく、手段の相当性をも欠いていることに徴すれば、右は、社会通念上許容される範囲を遙かに逸脱した行為と言わなければならず、可罰性を否定すべき合理的理由は何処にも見出し得ない。

以上詳述したとおり、原判決が、本件を可罰性なきものと判断して、犯罪として処罰の対象としなかつたことは、如何なる観点からも誤りであり、原判決は、窮極において暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条および暴行罪に関する刑法第二〇八条ならびに違法阻却事由ないし正当化事由に関する刑法の解釈と適用を誤つた違法があると言う外なく、右法令の解釈適用の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

結語

以上いずれの点よりするも、原判決は破棄を免れないものと思料する。   以上

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